環境エンリッチメントはという言葉を聞いたことがあるでしょうか。日本ではあまり普及していない言葉ですが、とても素敵な、そして猫を飼われている方にとって大事な概念です。
・エンリッチメントとは
「enrichment」という単語は「豊かにする」という動詞であるenrichの名詞形で「豊にすること」「質を向上させること」などを指します。つまり環境エンリッチメントとは「環境を豊かにすること」となります。
少し詳しく説明すると「動物福祉の立場から、飼育動物の”幸福な暮らし”を実現するための具体的な方策」と定義付けられています。
では「豊かさ」とはなんでしょう。猫に当てはめると「猫本来の刺激に満ちた生活」と言い換えることができます。ペットとして飼われている猫、特に室内飼い、は安全で食事の心配はない一方で、退屈で運動不足になりがちです。より具体的には上下運動を促す家の構造、獲物を捕まえる喜びなどを生活に取り入れることが挙げられます。
・なぜ環境エンリッチメントが必要か
環境エンリッチメントという概念は動物園の獣医療で発展してきました。野生動物をある一定の区画で飼育しなくてはいけない動物園では、ストレスに起因する異常行動が起きてしまいました。お同じところをぐるぐる回ってしまう常道行動や、自分を傷つけてしまう自傷行為などです。それらの異常は、動物にとって良い環境ではなく、ストレスが増加し起こったと考えることができます。
特に猫ではストレスが関与していると考えられている病気、特発性膀胱炎、猫伝染性腹膜炎(FIP)など、また行動学的な異常ではストレスで毛を舐めすぎる心因性脱毛、不適切な場所での排泄などが問題になります。
これらの病気を診断された方は獣医師から「ストレスの少ない環境にしてください」と指示されたと思います。その具体的な方法が環境エンリッチメントです。また病気でなくとも、愛猫の健康と長寿のためにエンリッチメントは避けて通れません。以下の4つのパートのわけて説明します。
1空間エンリッチメント、2採食エンリッチメント、3社会的エンリッチメント、4感覚エンリッチメント
1空間エンリッチメント
文字通り飼育環境の構造の方、床の素材や遊具などによるエンリッチメントです。まず生活環境の改善と聞くと空間エンリッチメントを思い浮かべる方が多いのではないでしょうか。
動物の得意なことができる空間を作ることが環境エンリッチメントの基本になります。猿にとってのそれは、手を使って移動することであり、猫にとっては跳躍とバランス感覚です。私たちも得意な自分の能力を発揮すると嬉しいですよね。人間の仕事に当てはめると、それはプレゼン能力だったり、クリエイティブな仕事だったりと個々によって異なりますが、自分の能力を発揮できると人も幸福を感じます。
1.2フロア、素材
猫を飼う上で清潔さは欠かすことができません。動物病院のフロアやケージが金属やコンクリート、プラスチックが多いのは消毒のしやすさが求められるからです。その一方で猫は木材やフリース素材など温度の変化が少ないものを好みます。基本的には掃除しやすいフロアで良いですが、猫の休憩スペースやお気に入りの場所には柔らかい素材でカバーしてあげましょう。
1.3垂直方向へのスペース
猫科動物は木登りとジャンプを得意とし、それは地上の危険から逃れれるためでもあります。そのため猫は高い所にいることが安心感に繋がりストレスを緩和します。一番簡単なのはキャットタワーと呼ばれる猫用の台座を設置することです。
キャットタワーはスペースを取るので自宅の家具を使う方法もあります。猫のジャンプ力は体調の約5倍ですが、1m以上の高さには慣れた場所でないと登りません。天井の高さが240cmとしたら3段階の高さで移動できるようにすると良いです(ソファ→デスク→タンスなど)。
さらにDIYが得意な方はキャットウォークと呼ばれる猫用のステップを設置することもできます。家の中で一箇所は展望台のように全体を見渡せる場所があるとなお良いです。
1.4隠れ家
猫は箱が好きです。それは箱にすっぽりと入るジャストフィットで落ち着くのと、本来単独で行動する動物なので1人になりたい時があるのでしょう。一時話題になった「猫ちぐら」からTシャツとハンガーを被せただけの簡易猫テント(でも良いので猫の頭数だけ用意しましょう。この隠れ家は猫がぴったり、ギリギリ入るサイズ感の方が猫に好まれます。「せっかく買ったのに入らない!」場合はサイズが大きすぎることが多いです。大きすぎたら中にタオルなどを詰め狭くしましょう。
1.5おもちゃ
簡単なボールでも良いのでおもちゃを部屋に転がしてあげることで猫の行動力は格段に増えます。ある研究では10種類のおもちゃで最も猫の関心を引いたの紐でつるタイプのおもちゃでした。一人でも遊べるタイプのおもちゃはすぐ飽きてしますので、実際に人が動かす方が良いでしょう。1日15分でもいいので遊んであげましょう。
おもちゃは結構壊れるので安価なもので良いと思います。やはり羽タイプが喜ばれます。
2採食エンリッチメント
通常ペットとして暮らしている猫は食事にたどりつくのに苦労しません。猫本来の生活するととても楽ですが、刺激が少ないと言えます。獲物を探す、フードに手に入れるために工夫を施すことで、獲物をとる刺激を補うことを採食エンリッチメントといいます。
ライオンの採食エンリッチメントの1例です。上に紐で鶏肉が吊られており、ジャンプをしないと手に入りません。注意点としては、空中で紐が絡まってし待っても大丈夫なようあまり強く固定しないこと。そして紐を食べてしまうことがあります。この紐はコラーゲンでできているので食べてしまっても問題ありません。
2.1フードを隠す
いつものお皿に半分フードを入れ、半分は猫が気がつかない場所に隠してみましょう。探索欲求を刺激し、また移動をすることで運動にもなります。お留守番の前に設置しておくと、時間潰しにもなります。
2.2少しずつフードをあげる
猫の自然な食生活はいっぺんに大量のご飯を食べるのではなく、少しずつちょぼちょぼ食べます。また時間をかけてご飯を食べることで飼い主さんとのコミュニケーションになります。手に乗るぐらいのドライフードを少しづつあげましょう。
2.3パズルフィーダー
あえて食事を食べにくくすることで、認識能力を刺激します。このパズルはどうやって手を使えば取れるのか、パズルを解くために苦労することで、食事が得られた時に満足感が増えます。転がすと少しずつフードが出てくるカプセルや、ファンボードと言って幾つかのギミックが用意されているものもあります。ペット用の「食べにくお皿」も狙いは一緒です。
2.4 エッグササイザー
カプセルに小さい穴が開いており、転がすことで中のドライフードが少しずつ出てきます。転がさなければならず、運動になり、そしてどのように転がせば良いの考えることが刺激になります。
3社会的エンリッチメント
猫同士、または猫と人を含んだ他の動物との関わりに注目したエンリッチメントです。強い科学的な裏づけはないもののお互いにグルーミングし合うぐらいの友達がいれば、運動不足解消や孤独感を和らげ猫の生活に良い影響を与えると考えられています。
猫は本来単独動物ですが、幼少期から一緒に過ごすと他の動物とも仲良くなることができます。特に6か月齢以下で、猫が先に家に住んでいると良好な関係を築きやすいです。また猫同士だともっとも仲良くなりやすいのはメス同士という研究もあります。
一方で、気をつけないといけないのは多頭飼育や他の動物の存在が大きなストレス因子になってしまうことがあります。猫は集団で暮らすことに慣れていません。アメリカでは州によって異なりますが、動物愛護の観点から猫の飼育頭数は3〜5匹以下に定められています。簡易的な家の間取りと猫の飼育頭数の上限は以下の式になります。
猫の飼育頭数の上限=自由に行き来できる部屋の数−1(共通スペース)
3LDKであればリビングを猫達の共有スペースとして残りの3つの部屋が行き来自由であれば3匹が上限になります。部屋の大きさによって必ずしもこの式が当てはまるとは限りませんが、日本の住居の場合は多くても5匹以下になるのではないでしょうか。
4感覚エンリッチメント
感覚エンリッチメントとは見晴らしの良い窓や、静かな住居を用意するということです。空間エンリッチメントに似ていますが、より個々の感覚に訴えるという点で異なります。ここには視覚、嗅覚、聴覚、そしてフェロモンによるエンリッチメントについて説明します。
4.1視覚
猫が窓から外の景色を見ることで、気分が良いのは猫も一緒なようです。樹木が風に揺れ、鳥が飛ぶ姿が刺激になります。多くの猫は少し高めの出窓でくつろぐことを好みます。
一方で外の景色が猫にとってマイナスに働くこともあります。特に支配的な猫が外にいる場合は、外猫と顔をあわせることがストレス要因になりますので注意しましょう。
家の構造を変えることは難しいですが、猫用の映像を流すことで視覚的な刺激を与えることができます。ある研究では小鳥などの小動物の映像が最も猫の注目を浴びました。いわゆる「猫のための動画」や猫が出演するテレビ番組などでも同じ効果が期待できます。
4.2嗅覚
マタタビやキャットニップ(イヌハッカ)を嗜好品として使うことができます。すべての猫にこれらの植物が効果があるわけではありませんが、人間の嗜好品のようにストレス解消になります。注意点としてはマタタビなどは子猫やてんかんを持つ猫には使用しないほうが良いです。
また人にとっては心地よい香りでも猫は不快に思っている可能性があります。強い匂い、香水やアロマセラピーは避けたほうが良いでしょう。(アロマについて詳しくはこちら)。特に柑橘系の匂いは猫はとても嫌いますので猫用の食器やトイレに柑橘系の洗剤が使われていないか確認しましょう。
4.3聴覚
音響については猫の環境にどのような影響が与えるのか解明されていません。犬の研究になってしまいますが、犬ではクラシックミュージックを流すと、落ち着かない行動が減ったという報告があります。
基本的には静かで、突発的な大きな音は避けましょう。一回大きな音ででびっくりした猫が混乱し1週間ぐらい机の下から出てこないこともあります。
4.4フェロモン
上記の3つの感覚に比べるとイメージしにくいですが、フェロモンはマーキングなどに使われ猫が安心感を感じるのに大事なファクターです。頬を擦り付けるのは顔から出ているフェイシャルフェロモンをつけるマーキングの1つです。
その他には尻尾の付け根や肉球からフェロモンが分泌されていて、爪とぎ行動もマーキングとして行うこともあります。マーキングをしている場所を洗ったり、他の匂いで覆ってしまうと、猫は縄張りが侵されたと感じることもあるので、あまり頻繁に綺麗にしないほうが良いでしょう。
その他にはフェリウェイというフェロモンの散布剤があり、猫の不安軽減に効果があるとされています。(詳しくはこちら)
その他
もっとも根本的な感覚エンリッチメントして猫の散歩が挙げられます。実際に外に出て風を感じ、四季を感じることができます。もちろん猫の性格によって外に出ることが危険なこともあるので全ての猫ができるわけではありません。(散歩について詳しくはこちら)
猫の性格によって理想的な環境は異なる
個々の猫の性格にあった環境エンリッチメントを行うことが最も効果的に結果を出す方法になります。猫は大きく分けて2つのグループ ①アクティブ(積極的)②パッシブ(消極的)に分けられます。各グループの特徴を表で説明します。
アクティブな猫に対しては垂直運動を促す家具の配置、窓から外を眺めることができる環境、おもちゃで一緒に遊ぶことが求められます。一方パッシブな猫では、隠れ家や室内が一望できる場所の確保、防音、外からの不安を防ぐために窓はカーテンを閉めるかどうか、などの点に注意しましょう。
まとめ
なかなか「ストレスの少ない環境にしてください」と言われても実際にどこに気をつければ良いのか難しいでよね。今回紹介したポイントを1つずつ確認しながら理想の環境を作りにのお役に立てれば幸いです。また猫のこだわりが出るトイレについてはこちらでまとめていますので参考にしてください。猫の性格によっても環境エンリッチメントの方向性が異なります。愛猫の性格を見極めて理想の環境を作りましょう。
参考
・ENVIRONMENTAL ENRICHMENT Practical strategies for improving feline welfare JFMS(2009)